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新・遠野物語-蛇神の行方1-

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登米市迫町北方八幡神社境内 蛇の絵 この石碑には願主の名があるだけで建立年月日はありません。

先の記事で「己巳(きし)供養塔」がキーポイントになると書きました。蛇のことです。
いろいろな石碑を調べている内に妙に蛇に対する信仰が浮き彫りになることにうすうすは気付いていました。しかし,どこの説明を読んでも蛇は七福神の弁財天の使いめという言い方でまとめられていました。しかし蛇は弁財天だけでなく,「巳待ち塔」や今日語る「己巳供養」にも見られ,また「蛇王権現」「蛇神」という石碑にもバリエーションを持って建立されていることから蛇に対する独特の信仰姿勢があったことを疑うことはできません。
また,蛇と形態が似ている水の神である「龍神」に対しても関係があるようです。蛇に対する信仰はそうした弁財天,水の神龍神,山神信仰などの様々な信仰を横断して,互いに重なり合う共通項の部分に現れ出ているように感じます。

今日取り上げる「己巳供養塔」は己(つちのと)と巳(み)の組み合わせの日のことを言います。カレンダーで日にちの所に「己巳」と書かれ,「つちのとみ」と読まれています。今年のカレンダーで調べてみると「己巳(つちのとみ)」の日は,1月27日,3月27日,5月26日,7月25日,9月23日,11月22日の日です。これらの日は弁財天の祭日と一致するようで福禄に恵まれる祈願を行う日になっているのでしょう。言い伝えで「蛇の抜け殻を財布に入れておくとお金が貯まる」とか言うのは弁財天の使わしめが蛇ということから蛇の効験にあやかる言い伝えなのでしょう。また「己巳」の日は目にも効くと言われています。

とにかく蛇なのです。
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登米市迫町新田飯島にある「白蛇弁財天」の石碑 ずっと新しく昭和二十三年に建てられたものです。

私が住んでいる宮城県北部では「弁財天」というと,金華山です。金華山講の盛んな地域でした。しかしそうした金華山講は「金華山」という石碑が建てられています。「弁財天」「弁天」「弁才天」の石碑や石祠はまた別に存在しているのです(「弁財天」と「弁才天」の違いは後の回でふれます)。
そもそも何故私が「己巳供養塔」に目を向け,蛇の存在をクローズアップさせようとしているか,その経緯をここでお話いたしましょう。
私は中世や近世初期の風景を写真で再現させようと,「新・遠野物語シリーズ」に取り組んでいます。そうした中世の風景を知るために石碑の視点から読み解こうと石碑のデータベースを作っている最中です。北上川沿いにある登米市中田町の石碑を記録していた時,内陸部ではあまり見られない「己巳供養塔」の石碑が多い事に気付きました。そこで中田町の周辺地域や岩手県南部についても調べるとやはり「己巳供養塔」が内陸部と比べて極めて多いのです。それもかなり古い石碑が「己巳供養塔」です。

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中田町上沼大泉長承寺境内 己巳供養碑 永仁二年 1294年 板碑以外の石碑では最も古いとされる石碑がこの「己巳供養塔」です。

そこでこう考えました。「己巳(つちのとみ)」の信仰がもともと中世から続いていて,後の庚申信仰の台頭を受けて「己巳供養」が庚申信仰の中に溶け込んでいったのではないか。「己巳供養」が庚申信仰に吸収されていき,蛇だけが室町以後に流行っていった七福神の弁財天と習合し,三大弁財天の金華山などの弁財天信仰として昭和まで生き続けることになったと仮説を立ててみたのです。
ここで年代順にした己巳供養の石碑データを見て下さい。
NO                 場所                    種類             年            西暦
643 上沼大泉長承境内         己巳供養碑    永仁二年 1294
655 花泉町金沢                    己巳供養塔    元禄八歳 1695
644 浅水巻北上川玉山崖上  己巳供養        享保十年 1725
645 浅水巻北上川玉山崖上  己巳供養        享保十七年 1732
653 千厩町奥玉                    庚申・己巳塔   享保十七年 1732
646 石ノ森小倉天神境内       奉己巳供養塔 寛延二年 1749
647 石ノ森八幡神社境内        己巳供養塔    寛延二年 1749
648 石ノ森蓬田蘭塔場           奉己巳供養     寛延二年 1749
655 花泉町金沢                     己巳供養        宝暦四年 1754
649 上沼八幡神社境内          己巳供養塔     安永元年 1772
654 大船渡                            巳待塔            安永四年 1775
650 上沼神ノ木飯綱神社境内 己巳供養塔    天明十年 1790
656 花泉町金沢                      己巳供養塔    寛政十一年 1799
651 石ノ森新町端                   己巳供養塔    文化六年 1809
652 上沼弥勒寺北上川堤防    己巳供養塔    安政四年 1857

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中田町上沼上沼八幡神社参道左の「己巳供養塔」安永元年1772年。上の蛇に似せた種字もおもしろい。

ここ登米郡は宮城県の中でも飛び抜けて庚申塔がたくさん建てられている所です。北上川沿いに天台宗の寺が多く川沿いに最も早くから仏教が入り込んでいた地域に「己巳供養塔」が多く,内陸部に行くに従い,「己巳供養塔」はなくなっていき,庚申塔にすり替わっていくと考えるならば納得できます。「己巳供養」も「庚申供養」も村人が集まって読経潔斎,会食し,直会(なおらい)を行う点で実に似ていますし,やはり月待ちを兼ねて働き終わった夜に集う点で庚申信仰に収斂されていったと見ることは無理があるでしょうか。

そして何よりも蛇です。
時代による信仰が変わっても蛇は新しい時代時代に顕現し続け,神話以来長く神仏の象徴として生き続けています。蛇という実体もイメージもその強靱さで昔から人々の信仰の対象となる意味が理解できるような気がします。

この話は続きます。


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