FC2ブログ

新・遠野物語-庚申塔一基-

DSC_1380-2gs.jpg
宝暦四年八月十三日d006.jpgバン(大日如来)奉庚申供養」

迫町佐沼から迫川沿いに土手沿いの道は続き米山へ出る道があります。
佐沼の街が途切れて左に森の田んぼが広がると,この一基の庚申塔がかろうじて草に埋もれようと顔を覗かせています。
宝暦四年八月十三日d006.jpgバン(大日如来)奉庚申供養」と碑面には書かれています。

何気ない一基の庚申塔ですが,この庚申塔がある場所に宝暦,天明,天保の大飢饉の折に餓死したたくさんの人々を葬った場所でもあるのです。今はもう忘れ去られて空き缶さえ落ちているだけですが何千という人が葬られた場所なのです。
次に佐沼出身の医者鈴木三伯(すずきさんぱく)明治十三~昭和二十九年 75歳が写した絵があります。見てみましょう。

DSC_2423-2ss.jpg
鈴木三伯写し「天明飢死図集」から

絵の一番右に庚申塔があります。この庚申塔が1枚目の写真の庚申塔なのです。絵の真ん中に「森越土手のけしき」とあり,森の土手の景色と説明が付けられています。まさにこの場所なのです。

また違う図版も見てみましょう。

DSC_2425-2sunderline.jpg
鈴木三伯写し「天明飢死図集」から

非人達が死んだ人を簀巻きにして運んで埋める様子が描かれています。赤いアンダーラインの箇所を読んでみましょう。
「庚辛坦(庚申塚のこと)この片(へん)辺(あた)りにかさこを土を掘穿ちすてられるは犬鳥是を掘し,四體を東西食みだせばその悪息目の玉に染み付く程なりき」
訳 庚申塚の辺りにかさこの様に土を掘って死体を入れるが,犬や鳥が死体を掘り起こして食べたりするのでその匂い目の玉にしみるほどひどい

この惨状は飢饉というものがすさまじいものであるということを鈴木三伯が後世に伝えるために模写した史料ですが,礼記の「王制篇」には「国に九年の蓄えなきを不足といい,六年の蓄えなきを急といい,三年分の蓄えなきを国其の国に有らずといふなり」と書かれているといいます。まさに現代のコロナウィルスによる伝染病が他に依存し過ぎた私たちの生活と国家という姿の脆弱さを考え直しなさいと言っているようにも思えます。実は天候不順から飢饉,伝染病の発生と続き,大量の死傷者が出てしまうという歴史が語ることをもう一度よく考え直さないといけない時代なのだと思います。そしてまた天明の飢饉などは火山噴火に続く天候不順から始まっています。南海トラフ地震は確実に来ると言われています。どんな対処をして,備えをするかは現在のコロナウィルスとの戦いの延長上にあると考え,慎重に粘り強く対応していきたいものです。
今までも飢饉の度にたくさんの救荒書や備荒録が後世のためにと残されてきました。しかし,実際に人間はその時その時のことに押しやられ,危機に対する備えまで至らなかったことも事実です。現在一人一人が過去の歴史から学ぶ時でもあることは確かなようです。


にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ
にほんブログ村
関連記事