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賢治は,どの年の獅子座流星群を見たか

冬戯れた景色が広がる11月下旬。11月27日は賢治の妹トシの命日です。トシは,24歳という若さで,1922年(大正11) 11月27日に亡くなりました。今年で87回忌を迎えます。
 そして,この11月は獅子座流星群のときでもあります。最近の2001年の獅子座流星群を知っている私たちは,賢治もこの一大天体ショーに並々ならぬ興味を抱いていただろうと予想できます。
 作品の中からまず獅子座流星群に関することばを拾ってみると,「春と修羅」第一集の「原体剣舞連」の最後の連に「獅子の星座(せいざ)に散る火の雨の」とあります。これは,よく引用されますが,やっぱり獅子座流星群のことでしょう。この「原体剣舞連」が書かれたのが1922年ですから,作品の中の「獅子の星座(せいざ)に散る火の雨の」と書かれた獅子座流星群は1922年以前のものとなります。


   夜風(よかぜ)とどろきひのきはみだれ
   月は射(ゐ)そそぐ銀の矢並
   打つも果(は)てるも火花のいのち
   太刀の軋(きし)りの消えぬひま
     dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
   太刀は稲妻(いなづま)萓穂(かやぼ)のさやぎ
   獅子の星座(せいざ)に散る火の雨の (下線)
   消えてあとない天(あま)のがはら
   打つも果てるもひとつのいのち
     dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah


 さて賢治が生きていた時代の獅子座流星群の出現はどの程度のものだったのでしょうか。吉田誠一氏の記録から拾い出すと下の枠のようになります。枠線内が賢治が観察可能な獅子座流星群となります。もちろん曇っていたり天候の影響で見ることができない年もあったでしょう。
┌─────────────────────────────────────┐ 
│ 1931年 11月9日~11月22日 最大HR=160 賢治37歳(昭和8)         │
│ 1930年 11月13日~11月22日 最大HR=1,600 36歳     │
│ 1929年 11月12日~11月18日 HR=5~15  35歳 │
│ 1903年 11月16日 最大HR=140~200   8歳 │
│ 1901年 11月15日 最大HR=300~400   5歳 │
│ 1900年 11月15日~11月16日 最大HR=1,000 4歳(明治33) │
│ 1899年 11月14日 最大HR=40 3歳 │
│ 1898年 11月14日 最大HR=100 2歳 │
│ 1897年 11月15日? 賢治1歳(明治29) │
└─────────────────────────────────────┘ 
さて,作品の中の「獅子の星座(せいざ)に散る火の雨の」と書かれた獅子座流星群を,賢治が実際に見たことを基に書いたならば,観察したのは1922年以前となります。そこで,1922年以前の獅子座流星群で強い印象に残るものは,下のようになります。あくまで存在する記録の中からの予想です。

 1903年 11月16日 最大HR=140~200 8歳
  1901年 11月15日 最大HR=300~400 5歳
 1900年 11月15日~11月16日 最大HR=1,000 4歳(明治33)
 1899年 11月14日 最大HR=40  3歳
 1898年 11月14日 最大HR=100  2歳

この記録は特に幼少期の賢治に当てはまります。しかし,8歳以前の流星群を覚えていて書いたものでしょうか。それとも後年,天文に興味を持ち始めてから観察したことでしょうか。星が好きだった賢治に獅子座流星群の観察の記録はあるのでしょうか。予想するだけでも楽しいことではあります。
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