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激昂する茂吉

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ブナの展葉前線上昇中 ここは標高800㍍地点で5月8日の撮影です

今年もブナが柔らかい緑の葉をつけました
以前に書きましたが,このブナの展葉(葉が開くこと)は一日平均40㍍ずつ標高を上げていきます。(その記事は こちら )
上の写真は標高800㍍付近ですから須川温泉付近(標高1114㍍)のブナが葉をつけるのは5月8日から数えて7~8日後の今度の日曜日15日辺りとなるでしょう。この日は5月の第3日曜日に当たり,栗駒山の山開きの日になります。つまり山開きの登山にブナの展葉前線も付いていくことになりますね。どうですか,ブナと一緒に栗駒山に登りませんか。ちょっとお洒落なコピーになりますね。

さて今日は「激昂する茂吉」です。
齋藤茂吉に雁を題材にした「よひよひの露ひえまさるこの原に病雁(やむかり)おちてしばしだにゐよ」という歌があります。
この歌が芭蕉の句の模倣ではないか,剽窃(ひょうせつ)ではないか,写生こそ大事と唱える茂吉とあろう者が本歌取りを超えておよそ模倣を行うとは如何なものか,と指摘したのは太田水穂でした。この茂吉の歌はアララギ昭和4年十一月号に載ったものを芭蕉研究会にいた太田水穂が「あれっ」と思い,茂吉に仕掛けたのでした。
太田水穂をして芭蕉の模倣,剽窃という判断をさせたのは芭蕉の「病雁の夜さむに落て旅ねかな」という句を思い出したからでした。それを太田の主宰誌「潮音」に載せたのでした。
さて茂吉は怒りました。人の作品を模倣,剽窃呼ばわりをするとは何事だ。早速茂吉はいきり立ち,アララギ昭和5年三月号で二編二十一ページという大上段を振りかざして,太田に対しての反撃を開始したのです。

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ブナの展葉前線上昇中

まずは仕掛けた水穂の弁を聞いてみよう。ここでもう一度茂吉と芭蕉の作品を並べてみよう。

よひよひの露ひえまさるこの原に病雁(やむかり)おちてしばしだにゐよ  茂吉
病雁の夜さむに落て旅ねかな    芭蕉

太田水穂「この曠野と見える原つ場の冷露の中に,野雁ならまだしも病気している雁を舞い落ちさせようというのであるから病妄想も甚だしい」(中略)「この原としたのは何故であろうか。この原と言うのであれば曠野とも,ただの草原とも,林木の原とも動くので
雁はその特性を発揮しない。鴉でも四十雀でもよいことになるのである。ことに「この」とは何事であるか。平生抽象を罵詈(ばり)する齋藤にも似合わず,この大切な三句目に来て,「この原に」などと散漫な言葉を並べたところ到底本気の沙汰とは思われない」

結構な辛辣さと皮肉である。
さて茂吉は太田水穂を馬鹿呼ばわりして反撃を開始した。

茂吉「僕は少しく馬鹿な水穂に言って聴かせよう。「この原」とは「この目前の葦の生えている原」という意味である。この「原」をば曠野とか,ただの草原とか,林木の原などと連想するのは水穂が愚鈍だからである。その程度の愚鈍鑑賞家である水穂などは到底僕の一首も分かりっこないが,水穂よく聴け。雁は多く葦などの生えている所にいる。画題に蘆雁というのは即ちそれである。また,古来雁の名所である「原」がいかなるところであるかということを水穂は少しく勉強して知るべきである。ここのところを水穂ならば「蘆原」などというかも知れぬが僕はそういうことを言わない。僕は単に「この原」と言う。歌人としての力量に霄壌(しょうじょう)の差別の附くのは既にこの一句で証明されるのである。(中略)次に「この原の」なかの「この」であるが,この力量は到底水穂輩の思いだも及ぶ技法ではない。水穂は「この」を散漫で抽象的だなどと言うが,これ程緊密で具体的な技法はないのである。僕の歌の中の「この」は,和歌の極致であり,写生の妙諦でもあり,人麻呂にも比すべき力量なのである。しかるに僧良寛の力量は既にここの点を悟入していたので僕は大正三年に,その良寛の力量を讃えておいた。

注)良寛の歌は次のものだろう。「太田水穂を駁撃す」昭和5
この宮のみ阪に見れば藤なみの花の盛りになりにけるかも  良寛「良寛和歌私鈔」の最初の一首
茂吉は「この」の用法を遡って次々と挙げていく。

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ブナの展葉前線上昇中

さて凄い応酬である。
これに対してまた太田水穂が「芭蕉の「病雁」の句に就て-斎藤茂吉氏の所論に対する解嘲-」を書いたのは,昭和5年二月のことである。この最後の方で太田はこれで齋藤茂吉と「病雁」について対戦するのは五回である,と記している。まことにすさまじい対戦である。



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