2022/05/22
ラムサール条約の伊豆沼って何だったか

ガンの飛びたち
今日から5回予定で「ラムサール条約の伊豆沼って何だったか」をお送りします。あと2年余りで伊豆沼がラムサール条約に登録して40年を迎えます。このラムサール条約は伊豆沼に何をもたらしたのか,そして地元にどんな影響をもたらしたのか。良い面もあれば悪い面もあります。それを書いておきたいと思います。
前書き
伊豆沼がラムサール条約指定地区になったのは今から37年前の1985(昭和60)年9月13日のことでした。それと同時に伊豆沼・内沼は,自然保護区,国立野生生物保護地区の特別保護地区指定地となりました。それ以来伊豆沼・内沼では,釣り,昆虫採集の禁止,盆花の蓮,盆の供え物の下に敷くがつご(マコモ)等の採集禁止等の規制下となりました。過去には昆虫採集や釣り人で賑わっていた伊豆沼も今では規制もあってかひっそりとして,人の姿も殆ど見られません。
新田に住んでいる私自身も子どもの頃には沼でフナを釣って家の人に喜んでもらえた時代もありましたし,1960年代後半には新田中学校に愛鳥委員会があり,ハクチョウの餌であるくず米やお茶の葉を集めたり,テレビに出演したりもしました。今は人のいない伊豆沼や内沼を見て寂しく思います。どうしてこのような沼になってしまったのでしょうか。
一方,蕪栗沼がラムサール条約に加盟したのは2005年(平成17)11月8日で,今から17年前のことでした。蕪栗沼の場合は「蕪栗沼とその周辺の水田」も指定区域に入れたことでした。「その周辺の水田」も登録に入れたことが伊豆沼・内沼の沼自体だけの指定と決定的に違っています。時代とともに変化してきた,人間とその環境に対する考え方の20年の進化が同じラムサール条約下の伊豆沼・内沼と蕪栗沼の間でも大きな違いを生んできたのでしょう。
ラムサール条約締結40周年の2025年が2年後に近づく今,国指定の特別保護地域指定20年の指定見直しの今年。もう一度,人のいない伊豆沼・内沼のラムサール条約の実践の意味を考えたいと思います。

木漏れ日
問題提起
手つかずの自然保護を唱える時代の潮流に乗って規制が強化された伊豆沼は,子どもを連れて昔のようにチョウやトンボを追いかけたり,ヤゴを探したり,釣りをしたりすることができなくなってしまいました。また,お盆に供える蓮の花や葉,盆飾りの下に敷く「がつご(マコモか)」なども勝手に採集することは禁止されてしまっています。
「ワイズユース」という考え方がありますが,これらの上記の行為はやはりすべて禁止されているのでしょうか。地元でも知っている人はあまりいません。生活の近くにあった昔の伊豆沼・内沼と私たちとの関わりは「ワイズユース」という考え方の元ではどれくらい許されているのでしょうか。
嶋田哲朗氏は伊豆沼・内沼サンクチュアリーセンターリニューアルオープンの年にこう書いています。
「(前略)伊豆沼・内沼がラムサール条約に指定された当時, 保全という言葉はありませんでした.自然を守ることは手をつけないこと,という時代でした.しかし, 伊豆沼・内沼は農業や漁業など人の生活の中で維持 されてきた沼です.たとえば,沼の水を灌漑に利用 する,ヨシを屋根葺きに利用する,マコモを家畜の 餌にする,コイやフナ,エビなどを採るなど,さま ざまな方法で沼を利用してきました.こうした二次 的自然に対して,知床や白神山地のような原生自然 に対して適用される,手をつけないという考え方で 取り組みが進んでいきました.当然のことながら, そういう考え方は沼から人を遠ざけます.ラムサー ル条約の 3 本柱のひとつにワイズユースという言葉 があります.皮肉にも伊豆沼・内沼は登録後にワイズユースから遠ざかってしまったのです。」
「ラムサール登録から 30 年を迎えた伊豆沼・内沼」嶋田哲郎(公財)宮城県伊豆沼・内沼環境保全財団湿地研究 Wetland Research Vol.7, 59-62(2017)からの引用
人を遠ざけていく,コアエリアと化した伊豆沼にはどんな意味があったのでしょうか。環境保全という考え方とは一体何だったのでしょうか。
(この話は続きます)

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