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ラムサール条約の伊豆沼って何だったか4―入会地(いりあいち)―

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棚田を過ぎる 東北本線 梅ヶ沢―新田

昔は「入会地(いりあいち)」というものがあった
天保貳年の風土記の新田村に伊豆沼は次のようにかいてある
一 伊豆沼 廻り大道六里餘 多分新田村分ナリ
  但新田村一ノ迫畑岡村荻澤村留場村入合片瀬片川水底大町榮三郎定請ナリ
伊豆沼は新田村と一ノ迫畑岡村,荻澤村,留場村の入合地だったのである。つまり沼の周辺の村が協同で管理したり,各村で沼からの恵みをいただき,収獲した魚や貝を売ったりして生計を立てていたのです。また田に水を引くのにも入会の権利で協同性が働いていたようです。薪(たきぎ)にする物も入会の林,肥料や家畜のえさとなる草刈りも入会地の草原と権利は皆平等に行使され,使用されました。「水底大町榮三郎定請ナリ」は沼の水底で獲れるもの,魚や貝などは領主となっている大町氏の権利となっているということです。領主の許可を得て,入会の村々は平等に日にちを決めて漁をしていたのだと思われます。

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夕暮れを急ぐ

このような入会地は川,沼,林,草刈り場などに及び他にも例えば神社,祠を建てるのに共同出資で土地を所有者から買い取ったりして沢山の人々の名義で登記されている例もあるようです。このような共同地は貧富の差をつくらない,平等な権利を行使する点で,その土地で生活する者にとっては入会という制度によって守られている実感もあったと思います。このような共同で天災や艱難辛苦を乗り越えようとした昔の人々の「入会」という智恵は今は殆どなくなり,むしろ反対に大きな格差社会をつくる資本主義システムにすっかり晒されてしまい今では人々がすっかり丸裸にされた感がします。

下り夜行-7s

伊豆沼は3年後ラムサール条約地40年を迎えますが1985年の伊豆沼そして20年遅れての2005年に蕪栗沼とその周辺の水田がラムサール条約地になりました。伊豆沼・内沼のラムサール条約の申請シートには次のように書かれています。
16. Conservation measures taken : (national category and legal status of protected areas - including any boundary changes which Special Protection Area of National Wildlife- Protection Area Miyagi Prefecture Nature Conservation Area In this area, construction, modification of land, mining, reclamation, changing of the water level, tree felling, taking of wildlife are prohibited without the permission of the Environment Agency or Miyagi Prefecture Government.
「ラムサール条約申請シート」から
水や生き物と触れあう権利も奪い取られた,閉ざされた伊豆沼から昔のように「入会地」として,住民の生活や人生に寄与できる伊豆沼に変えることができます。それが「ワイズユース」の視点です。
伊豆沼からの20年,そして蕪栗沼からの17年,そして2025年でまた蕪栗沼の反省から伊豆沼へ戻って来た時には伊豆沼は入会地という昔の智恵が復活する新しい時代の湿地であることを実現できる場となります。それが「伊豆沼コモンズ」です。



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