2022/08/03
ドライブ マイ カー3「言語化の呪い」

伊豆沼の朝
今日は「ドライブ マイ カー」の感想3回目となります
家福祐介(西島秀俊)の妻・音(おと)の不思議な性癖についてです。
音という女の存在はやはり前世がヤツメウナギなのか,どこか捉えどころがない内向性を秘めています。大体がセックスのオーガ二ズムに向かって物語が語られていき,身体の快楽を絶えず言語化しようとします。そして我に返るとどんな物語を紡いだか語った当人である彼女自身が忘れているのです。だから翌朝,祐介に再話してもらい脚本に起こしていくという作業をします。そう,彼女は脚本家なのです。自分の身体の快楽からほとばしり出る物語を語る彼女自身が憶えていない。これは不思議なことです。彼女の深層心理の「黒い渦」(祐介談)から浮上してくる忘れ去られていた「記憶のかけら」からイメージされているのか,はたまた口寄せの巫女のように彼女の感情の高まりに合わせて何かが憑依して彼女の口を借りて語らせているのでしょうか。この設定が非常におもしろいところです。彼女は言語化の呪いに取り憑かれています。それも意識に上がってくる世界をネタにするのではなく,身体的なオーガ二ズムをネタにして言語化に取り組みます。この設定は何か象徴的な意味が隠されているようにも感じます。

伊豆沼の朝
前世が高貴なヤツメウナギであることの告白はおもしろいエピソードの断片として印象に残りますが,語られる物語は案外現実的です。
女子高生は気になっている同級生の男の子ヤマガくんの家の2階の彼の部屋に空き巣として忍び込み,ヤマガくんの部屋に少しずつ自分の存在の痕を残してきます。最後には自分の下着をヤマガくんの抽出の奥にそっと紛れ込ませたりします。そしてヤマガくんの物をこっそり,例えばちびた鉛筆などの知られないような物を持ち去ります。ある日,また彼の部屋に忍び込み,彼のベッドでオナニーをします。その時,階段を上ってくる音がします。果たして誰なのか・・・。
このような寝物語を音は祐介から聞き出して脚本に起こしていくわけです。
このような自分の秘密が発覚してしまうことを恐れる,幾分陳腐すぎる話は,むしろ彼女が優等生で,家庭環境にも恵まれている点からすると,音自身の無意識の夢から引き出されている気がします。けっして何かが憑依して彼女の口を借りて言わせているのではないようです。彼女は肺炎で4歳で死なせてしまった我が子の喪失から2年を経て,こうした言語化の方法を生きる術としたのでした。

内沼
高槻は音から階段を上ってきた人が誰であったのかを聞き出していました。
それを祐介に語り出します。これは高槻という他人には語られますが,夫・祐介には終には語られることがなかった話でした。
高槻をホテルに降ろした後,この映画で最も美しい映像が出て来ます。運転手のみさきと祐介が車の中で煙草を吸うシーンです。

映画「ドライブ マイ カー」より
このシーンは心情を言語化せずに映像に結晶化させた点で最も優れたシーンとなりました。
さて,まとめます。
映画「ドライブ マイ カー」は,コミュニケーションとしての言語を,現実,音の語る物語,多国籍言語による演劇,チェホフの戯曲,棒読みの台詞の練習の場面と幾層にも多声化したポリフォニックな構造をつくりながら人にとってコミュニケーションとしての言語とは何かを見事に語り尽くした完成度の高い映画です。
高槻が語ります。
「家福さんも音さんも細かい点にこだわり過ぎます。それは人には理解されません。」
言語を扱う者はそうなのだと思う。いまこそ他人に理解を促すコミュニケーションとしての言語,その言葉の恐ろしさ,暴力的な言語の力に気付き,バベルの塔になったこの世をもう一度温かい言語の魅力で満たそうとするテーマがこの映画の魅力である。

- 関連記事
-
-
ファーストライト 2023/02/01
-
「ドライブ マイ カー」4―濱口竜介,語りの原型へ― 2022/08/08
-
ドライブ マイ カー3「言語化の呪い」 2022/08/03
-
ドライブ マイ カー「脚本読み」 2022/08/01
-
ドライブ マイ カー「侵蝕される重ね絵」 2022/07/31
-
スポンサーサイト
コメント