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ネフスキー,佐沼で高橋清治郎と会う

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栗駒山をバックに乱れ飛ぶ

ニコライ・ネフスキーはオシラサマの研究で登米にやってきて佐沼に居た「おかみん(口寄せ)」に会います。
その手はずを整えたのは,先に佐沼を訪れた柳田國男をお世話した高橋清治郎でした。ネフスキーは二月に高橋清治郎に手紙を送り,是非口寄せの持っている「オシラサマ」を調査したいと次のような依頼をしていたのでした。 

ネフスキーからの手紙6
ネフスキーから高橋清治郎への手紙 大正九年二月二十二日付け

この手紙に依ればネフスキーの家に居る女中が登米郡迫町佐沼出身で,巫女(おかみさん)がわたしが住んでいた佐沼にもいた。そして祈祷するときには「オシラサマ」を持っていたとネフスキーに証言したわけです。さて,登米郡といったら「高橋清治郎君」にお願いすればなんとかしてくれると柳田國男がネフスキーにアドバイスしたのでしょう。そして上のような手紙をしたためたのです。高橋清治郎は二つ返事で快く引き受けたと思われます。
そしていよいよ東北に出発です。柳田國男と一緒に東京を8月2日に出る予定だったかもしれません。しかし,ネフスキーは歯痛で苦しみ,やっと8月24日になって朝,東京を出たのでした。この時には柳田はもう久慈や釜石辺りまで進んでいました。
ネフスキーの伝記を書いた加藤九祚の「天の蛇」から,東京を出た後のネフスキーの動きをまとめてみます。
8月24日 常磐線四ツ倉駅下車 人力車で玉山温泉泊
8月25日 高木誠一を訪れる
8月26日 四ツ倉駅に近い上仁井田の御堂,鬼越の橋本家のオシラサマ調査 仙台へ移動 仙台泊
8月27日 石巻へ 石巻泊
8月28日 佐沼の高橋清治郎氏と会い,巫女(おかみん)調査  佐沼か高橋清治郎氏宅か

この佐沼での様子は,高木誠一氏への手紙(9月18日付)から知れる。
宮城県へ行って佐沼町付近にて幾度もオシラサマの御神体を拝みました。其の当地のオシラサマは,皆真竹の棒(一尺ばかり)に,上から沢山の絹片を着せたもので(重に二体ですがたまには一体のもあります),頭が見えませんです。巫女(オカミサン)が神オロシする時にのみ之を用います。オカミサンの前に供へてあるオハナエへ之をさして,弓をたたき長い数珠をすりながら神をおろします。オカミサンに言わせると,右のオシラ(又はオシナとも言ふ)は,神ツケする時の巫女の持つ御幣なんだそうです。小生の調べた御神体には実際幣束の跡が見えます。御神体の頭は少し変だと思いました。真丸いマリの様なものではなく,丸くて平つたいのです。丁度一銭の銅貨を二枚重ねて竹の上へ置いたように見えます。力を加へると少し動きます。
8月29日 高橋清治郎氏と一緒か
8月30日朝東北本線で花巻へ 午後3時遠野「高膳旅館」へ泊まる

ここからのネフスキーの様子は佐々木喜善の日記に書いてあるのでもう一度引用しておきます。

佐々木喜善の日記に出て来るネフスキー
八月三十一日 晴 八戸ヲ立チ、夕方遠野に着、夜家ニカヘル。トコロガ町ニネフスキー君ガ来リイルト云フ。
            明日タマヲ迎ヘニヤルコトトスル。
九月一日 ネフスキー君来ル。会フ早々学問話に耽ル。
九月二日 ネフスキー君滞在ス。
九月三日 晴 ネフスキー君ヲ送ツテ停車場マデ行く。伊能氏モ来ル。
         (刑事が外国人のネフスキー氏が何のために遠野に来たのかを探っている)

ここからはまた「天の蛇」から引用します。
9月4日 函館に着いて2泊
9月6日 移動
9月7日 小樽に帰る

これはつづきます

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