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オシラサマとは何か

今日はネフスキーが情熱を傾けた「オシラサマとは何か」と題して書いてみます。もちろん以前にも「オシラサマ」についての記事は書いてきましたが,さらに詳しく書いてみます。

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今朝11月27日のガンの飛び立ち 内沼

20140918064505363オシラサマ
遠野伝承園のオシラ堂

私たちが初めてオシラサマという名前を知ったのはやはり「遠野物語」でしょう。その遠野物語六九がオシラサマです。早速引用してみます。
六九 今の土淵村には大同(だいどう)という家二軒あり。山口の大同は当主を大洞万之丞(おおほらまんのじょう)という。この人の養母名はおひで、八十を超こえて今も達者なり。佐々木氏の祖母の姉なり。魔法に長じたり。まじないにて蛇を殺し、木に止まれる鳥を落しなどするを佐々木君はよく見せてもらいたり。昨年の旧暦正月十五日に、この老女の語りしには、昔あるところに貧しき百姓あり。妻はなくて美しき娘あり。また一匹の馬を養う。娘この馬を愛して夜になれば厩舎(うまや)に行きて寝(い)ね、ついに馬と夫婦になれり。或る夜父はこの事を知りて、その次の日に娘には知らせず、馬を連つれ出して桑の木につり下げて殺したり。その夜娘は馬のおらぬより父に尋ねてこの事を知り、驚き悲しみて桑の木の下に行き、死したる馬の首に縋すがりて泣きいたりしを、父はこれを悪にくみて斧をもって後うしろより馬の首を切り落せしに、たちまち娘はその首に乗りたるまま天に昇のぼり去れり。オシラサマというはこの時より成りたる神なり。馬をつり下げたる桑の枝にてその神の像を作る。その像三つありき。本もとにて作りしは山口の大同にあり。これを姉神とす。中にて作りしは山崎の在家権十郎ざいけごんじゅうろうという人の家にあり。佐々木氏の伯母が縁づきたる家なるが、今は家絶えて神の行方ゆくえを知らず。末すえにて作りし妹神の像は今いま附馬牛村にありといえり。

この話は「馬娘婚姻譚」と呼ばれ,唐の「捜神記」や「博異記」にすっかり同じ物語があるそうで,唐時代に中国にあった話が日本に伝わったと考えられます。佐々木喜善のこの話では大同という古い家での出来事ですが,おしら祭文などではよく長者伝説に乗っかった設定で語られもしています。ちなみにこの話では蚕の話は全く出てこないで,馬を吊したのが桑の木であったということしか書いてありません。娘がいなくなって嘆き悲しむ父の夢枕に娘が嘆き悲しむな臼の中に蚕の種を入れて置いたのでわたしのように可愛がってという続きの話があります。
とにかくオシラサマを見てみましょう。
遠野大晦日 514-2s
遠野ふるさと村に再現された古民家の仏壇に置かれていた二体のオシラサマ

このようにオシラサマは二体で一対が多く,男神と女神です。よく見ると男の方は頭の上に耳が立っていて馬です。物語の通りにつくられています。ネフスキーは宮城に来る途中磐城四ツ倉に立寄り,福島の神明(しんめい)様が形態上オシラサマと同じであったことを突き止めました。柳田國男はこのネフスキーの調査の情熱を讃え,その情熱を引き継ぐべく「大白神考(おしらかみこう)」を書きました。オシラサマは福島沿岸,会津ではシンメ(神明)サマ」と呼ばれ,宮城や山形東地域では「トデサマ」(尊い方という意),羽黒庄内地域では「オコナイサマ」(行法を「おこなう」という意)と云われているのです。これらはすべて信仰の御神体がオシラサマの形体と同じ点から導き出されたのでした。ちなみにネフスキー自らが採集した佐沼では「オシラサマ」で峠一つ越えた南三陸新井田では「オコナイサマ」です。更に仙台ではオシラサマのことを「オトートサマ」と呼ぶのだそうです。この呼び方だけでも地域変異が大きいことがオシラサマの解明を難しくしていました。
オシラ3-トリミ
本山桂川「日本民俗図誌」第二冊から岩手のオシラサマ 
下の段に「延宝五年」と記されているが,確認されたもので一番古いのは天正十五年だそうである

更に養蚕業と結びつき,蚕の神様となることで更に複雑な信仰様相を呈してきたのでしょう。ネフスキーは,手紙の中でオシラサマは「お知らせ」ではないかと踏んでいます。つまりオシラサマを扱う巫女達が吉凶を占う卜占(ぼくせん)の役割も担っていた点からの考えですが,やはり慧眼でしょう。日本を訪れ,柳田と初めて会ったのが大正四年だと柳田は回想していますが,民俗学黎明期のネフスキーの存在は複雑な様相を呈していたオシラサマの研究に果敢に挑み,大きな成果を上げていったことは特筆すべきことだと思われます。そして当地,宮城登米地方でネフスキーの研究を更に進めさせた高橋清治郎の存在も大きいものがあります。高橋清治郎の功績はもっともっと登米の皆さんに知ってほしいことは,石井正己氏が当地の講演で繰り返していたことでした。

このオシラサマの解明は変異を繰り返し,様々なバリエーションが存在していますが,
・正月,三月,九月の十六日がオシラサマノ祭日ということの解明
・長者伝説等の物語の伝播や説教節への発展経路の解明
・オシラ遊びという遊ばせる神様の意味
・巫女によって支えられていたオシラサマ信仰の解明
などをまた扱っていきたいと思います。

この話はつづきます

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