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ファーストライト

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ファーストライト 蕪栗沼

ファーストライトと言うと,できた天体望遠鏡に最初の星の光が入ることという意味らしい。
私はこのファーストライトを読んで字の如く「最初の光」と解して使っている。つまり一日の始まりの日の出の,その光が最初に景色に届く劇的な瞬間のことを言います。写真を撮るんだったら,この一日の最初の光を写すことだと思っています。
何でも最初が大切です。音楽でも最初のイントロの出だし,演奏だったら最初の音だし,映画も最初のシーンに作品のすべてが凝縮されているように感じています。つまり始まりにこそ,全てがあるのです。写真ならずとも絵でも最初にぐっと来るかです。観た最初の印象が判断のすべてとなり,最初の印象がよいものが後の視線の持続を生み出します。最初でがっかりしたら,後は見ようとする緊張が持続せず,そこで終わりとなります。つまり出会いの瞬間がすべてなのです。
一瞥,ファーストライト,ファーストインプレッション,閉ざされていた門が開かれた時に見える最初の景色,立ち現れてくる一陣の風,長く引く影。そよ風で波が起こる時の最初の水の動揺・・・。
これらの始まりは先程まで闇の中で暗かった眼に劇的な刺激となります。この射るような最初の朝日の赤い刺激は,もともと動物である人間の眼にはにはこの世のすべてと写ります。動物的な勘の冴えを持った人に分があります。
ところが文章などは読んでいって最後に初めて意味が分かる仕組みになっています。つまり文章を読んだり,書いたりすることは,あらかじめの集中と緊張の持続が必要となります。そして集中する力とその持続,我慢が教育の方法と一体化してきます。

ファーストライト派の最初がすべてか,ロゴス派の我慢して最後にすべてが分かる,あなたはどちら派ですか。


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