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伊藤正子の昔話を読む-兄弟物 忠兵衛と忠太郎-

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灯台の光 3月20日撮影

夕方にまだ雁の声がします
声のする方を見ますと,三羽の雁がくっつくように飛んでいました
もう北へ帰るよと残っている仲間に知らせているように感じました

さて,伊豆沼読書会は,今年,「伊藤正子の昔話を読む」というテーマで新田出身の昔語り伊藤正子の語りをもう一度皆で味わっていこうと取り組み始めました。伊藤正子さんは大正15年(1926)生まれ,平成29年(2017)5月31日に亡くなりました。享年92歳でした。あと3年で伊藤正子生誕100年という記念すべき年を迎えます。97年前の人を再度取り上げるのは,何よりも伊藤正子さんが優れた昔語りであり,その昔話の数々が今に伝えられているからです。
これから何回かにわたり,伊藤正子さん自身が文字に起こした昔語りを紹介していきます。
今日は,聞いた人達が皆,もう一度あの話を聞きたいという人気の作品,兄弟ものの「忠兵衛と忠太郎」です。この作品も「雉も鳴かずば」と同じようにルーツを辿るために,永浦誠喜氏の「忠兵衛と忠太郎」と比較しながら読んでいきます。同じルーツを持つ二人の話が思わぬことで違いを生んでいきます。今日はまず伊藤正子の語る「忠兵衛と忠太郎」です。
少し長いのでたたんでおきます。クリックして開いてお読み下さい。

伊藤正子の語る「忠兵衛と忠太郎」
むがすむがすあるどごに,忠兵衛ど忠太郎ど言うきょうでえ(兄弟)がえだったんだど。
おどっつあんもおがっつあんも死んですまい,田も畑も何もなぐ,うんと貧乏だったんだど。
きょうはおおみそが,あすたがらお正月だつのに飲むものも,食うものも無ぐなってすまったんだど。
「な,あんつぁんや,おら,えずまで,このえにえだって,貧乏ばりすてながねえ,どごがさ出はって,少こす,すん棒すて,こんべす」て,言ったれば,
「ほだな,えづまでも,貧乏ばりすてるよりも,どごがさ出で,三年もかせえで,ぜにこばためで来て,このえ,建でなおすべす」
二人は,三年後の大晦日にこのえさけえって来ることを約束すて,どごというあでもなく,出はって,途中で二人は別れだんだど。
しゃでこ(弟)の忠太郎は,ある大っけな百姓のえさえって,わげかだって,使ってもらう事になったんだど。
蔭日向無ぐ,まえにず,えっ生懸命,かせいだつを。ほだがらだなどの(主人)にもそえっそ(何時も)ほめられでえだっつを。
三年たった,大晦日,忠太郎は,あんつぁんと約束すた事を思って,ずぶんのえ(家)さけえる事にすたっつを。
三年間,一文のぜにも使わねえようにすて貯めだ金が,九十両,
そのぜにを持って,えさ,けえっから,て言ったれば,だなどのに
「忠太郎や,今からえったってな,くらぐなってすも。あすたえぐんだ」
ど,うんとかだらえだげっとも,忠太郎展
「あんつぁんど,きょう,けえる約束すたんだがら,きょうのうずにけえんねくては」
と言って,ぐりぐり出はったんだど。
日のみつけえ(短い)冬の日のごったがら,たずまず暗くなってすまったつを。
山道さ,来たれば,すっかり,まっ暗になってすまって,みず(道)もわがんねぐなってすまったす,雪は,もさもさ降ってはきたす。なじょすんべと思ってえだれば,鉄砲ぶずに,えぎゃったん(出会った)だど。そんで,みず,聞いたれば,
「そごさえぐのだらば,とっても,今夜のうずにはえがれねえ。もう少こすえぐど,あがりこ,めえっからそごさ,えってろ,おらえだがら,泊めでやっから」
ど,言われだつを。忠太郎は,ああ,ありがたい,ありがだいど言って,言われた通り行ってみだれば,うす暗れえ,ランプの明がりこめえだつを。忠太郎は,
「おばんでがす」
て,声かげだれば,うずぐすおなごの人出はって来たつを。
「えま,そごで,旦那さんにえぎぇって,泊めでもろう事にすて来たんだげっとも,どうぞ一晩だげ泊めでけらえん。」
と頼んだんだど。すたれば,おなごの人,
「ああ,おめえさん,なんで,こんなどごさ来すた,こごはねぁ,おいはぎ(山賊)のえでがすと,おらも,おしぇられで来て,こうすてんのでがすと」
ど,言われだんだど。忠太郎は,たまげですまって,
「ええ,おいはぎす,ほでえおれが,三年かがって,ためだ,この九十両の金,とられですもべや」て,忠太郎はがっかりすたっつを。
「ほだって,えまがら,どごさ,ねげだって,遅えすな,ししゃねがら上がって,戸棚の中さかぐれらえん。」
て言って戸棚の中さかぐれだつを。
すたれば,間もなぐ,さきだのおどごけえってきたっつを。
「おなみっ,おれな,さきだ,あそごで,金の百両も持った様な男さ,みず,おしぇで,よごすたった,こねがったが,」
と,かだって,へえって来たつを。
「なあに,その様な人,きいん。」て,かだったれば
「なに,こねえて,こねえっごどねえ。おなみ,かぐすたな。」
「ほんとにこねぇでば,かぐすもなにもすえん。」
「まだうそかだる。どごさかぐすた。」
おなみは,ただがれだり,けたぐられだり,すたんだど
戸棚の中で聞いてえだ,忠太郎は,ついに,たまりかねで,出て来たつを。
「旦那さん,旦那さん,ぜにば,みなやっから,えのず(命)だげは,助けでけらいん。どうぞ,えのずだけは助けでけらいん。」
て,頼んだんだど。
「ほれ,おなみ,かぐすたんだべ」
「ありがね,みんな出せ」と,どなったつを。
「ああ,三年かがって貯めだぜにな,あったらもんだな。」
忠太郎は泣き乍ら,九十両の金を出すたんだど。おえはぎは,そえずを,取っけぇすて,
「えしょも脱げ」
て,裸にすたんだど。そすて,
「あそごに,かさがき(梅毒患者)の着たえしょ,あっから,そえずでも着て,さっさど出でげぇ。」
て,語だらえだつを。
忠太郎は,ぱっかぱっかになった,汚ねえ,えしょを貰って着たんだど。その時,そごの縁の下に刀が,山程あったんだど,忠太郎が,
「杖っこにすっから,えっ本(一本)けらしえ」て,語ったれば,
「どえずでもええがら,持ってえげ」
て,言われだので,えっ本貰って,泣ぎ泣ぎえま来たみずを,けぇったつを。
すばらぐたっでがら,おえはぎは,
「えまの男は,ただのおどごどつがうどごあるようだ。生がすておえではだめだ,」ど思って,あど追っかげだつを。忠太郎は追っかげられだのさ,気づえで,さっと,大っけな杉ぬ木のかげさかぐれだっつを。その時,おえはぎはズドン,とえっぱづ(一発)鉄砲を,ぶっぱなしたんだど。玉は丁度,杉ぬぎさ当たって,忠太郎,あぶねぐ殺されっとごだっだど。
やっと,えのずからがら,だなどののえさ着いだんだど。えまに夜,明げっとごだったど。
「旦那さん,旦那さん,三年かがって貯めたぜに,すっかり取られですまいすた。あったらぜにまず」ど,泣き泣き言ったつを。
「ほれ,んだがらあすたえげて,語ったのに」
て,みんな,起ぎで来て,火たいであでられ,えしょ,着がえさせられだつを。
忠太郎は,それがら,又,せっせどまえ日えっ生懸命かせえだつを。
ある休みの日に,忠太郎は,おえはぎがら貰って来た刀を,研いでだんだど。すたれば,そごさ,つがぐの(近くの)刀かずが来て
「やあ,こりゃ,立派な刀だ,えってえどっから,手にえれだんだねぇ。」
ど,聞かれだんだど。忠太郎は,その訳を,ありのまんま語ったんだど。
「これは立派なもんだ,どうだべ,おれさその刀,百両で売ってけねぇがねぇ」
て,言われだんだど。
「えっ,百両」
忠太郎,びつくりすたつを。
思いがげねぐ百両の大金が手さへえったんだど。ほだげっとも,正ずき者の忠太郎,九十両のぜにを取られで,百両の刀を貰って来て,十両のぜにをおれが,もうげでえられねえ,十両をあのおいはぎさ,けえさねくては(返さなくては)わがんねえど思ったつを。そんでだなどのさ,その事語ったれば,そんなごどすっこどねえて,言われだんだげっとも,忠太郎はその次の休みの日に,十両の金を持って,おいはぎのどご(所)さえったんだど。
すたれば,そのおいはぎの男は,重い熱病に,かがって,寝てえだんだど。
忠太郎は,男の枕元さえって,
「おれは,この間,九十両の金を取られだが,けえりに刀を一本貰って,えったら,その刀が百両で売れだので,おれが十両の金を,おめえさんから,ただで儲げで,いられねえど思って,返すさ来すた。」
と,言ったれば,その男
「えっ体,そんなにも正じきな,おめえさんは,どごの誰だ。おれは,今まで,何十人,何百人の人の金を取って,暮らすて来たが,おめえの様な正ずぎな人に,会ったごどねえ。」
て,言ったつを。
「おれは,これこれしかじかの国の,忠太郎というものだ。三年前兄の忠兵衛ど,えを建て直すべすという約束して別れだので,丁度あの日が約束すた日だったので,金を持って帰る途中だったのだ。」
と,語るど,男は大っけな両手でつらをかぐすて,なだ(涙)をぼろぼろ流すたつを。
「おお,おめが忠太郎か,おれがあんさまの忠兵衛だ,おめえがそんなにまずめにかせいでえだのに,おらあ,わり事ばりすて暮らすて来た。えま,そのばず(罰)が当たって,死ぬばりだ,合わせるつらもねぇ,どうがこれがらも,達者でな。」ど言ったつを。
二人は手を取り合って泣いだつを。
忠太郎は,おなみどして,えっ生懸命看病すたげっとも,間もなく死んですまったど。
そんで忠太郎はおなみを連れて,山から下り,夫婦になって,えっ生懸命かせえで,えを建て直すて,ししゃわせに暮らしたど。
えんつこもんつこさげすた。

いかがだったでしょうか。伊藤正子さん自らが話を文字に起こした原稿です。方言もそのまま,口調もすっかり文字に引き継がれています。今日はここまでです。またこの続きをお楽しみに。
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