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音のつくり出す圧倒的な空間

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今朝の霧が出た長沼

先回,「坂本龍一が,雨の音,川の音,海中の音などの自然の音をひたすら録音したり,世界中の音をライブで集めて来て,会場のスピーカーで交響させたりする試みを行なっていた」ことは,新しい音楽の創造を,よりポリフォニックで,音の出会いを自由性の高い次元で行なおうとした試みでしょう。
よく,波の音や風の音,竹林の音などの自然の音を,日本人は言語を司る左脳で処理し,西洋人は機械的な音として右脳で処理すると言われます。日本人にとっては,自然の音は,ことばと同じように,むしろ言葉と密接に関わるように理解されるのです。自然の音が言葉に翻訳されやすい脳を私たちは既に持っているのだと言えましょう。

子どもの頃,私は祖父の供養のために,叔母達5人がご詠歌を歌うのを聴きました。今でも忘れられないで覚えているのは,5人の叔母達の声が各々の声の特性を持って,ポリフォニック(多声的)に立ち上がり,響き合い,そこに美しい空間が見えたのでした。不思議な体験でした。一人一人の微妙に違う声が合わさることで,何かの建築のように立ち現れてきて,日常とは違う空間がはっきりと私たちを取り囲んだのです。そこに鈴の高い音が規則的に入ります。
「クラブとか行くと、こういうほとんど変化しない音楽をずっと聴いているわけです。そして、トランス状態になるのかな。たとえば、同じパターンが並んでいる建築の空間とか、壁面とかをずっと見ていると、実際にはないのがいろんな模様を勝手に作ります。やっぱりあれもそうなのです。まったく変化しない、その一様な状態に人間はなかなか堪えられない。そういうのもちょっと似ていると感じます。なるべくゼロの方に一回 行ってみるのは、面白いことですね。」(坂本龍一の講義から)

こういった言葉から考えると,源信が「往生要集」の中で,息を引き取ろうとする人の見取りの方法を厳格に定めていることが肯けます。まず息を引き取ろうとする人の周りを取り囲んだ僧侶達がまさに読経を繰り返し,声明によるポリフォニックな空間をつくり,何が見えるか,何が聞こえるかを聞き出し,記録させます。これらが息を引き取るまで続きます。繰り返される読経のポリフォニックな声明の圧倒的な空間がトランス状態をつくりだし,それに引き連れて,死なんとする人の不安や迷いを取り除きます。
永遠に繰り返される声という音が響き合う中で,やがて心はトランス状態に入ります。この状態は,ケチャやご詠歌の声がつくり出す空間にそっくりです。

先回,自然の音が言葉に翻訳される行程を,「巫女や口寄せによる神降ろし」も同じと書きましたが,巫女や口寄せの人達に初めて神様が下りる儀式(カミツケ)が,やはりトランス状態をつくり出す設定に似ています。
「カミツケの当日には,オナカマサマ(師匠からカミツケを手伝うよう頼まれたオガミサマ)が三十人ほど集まり,また,実家の近所の人々も大勢詰めかけて屋敷の外から見物していた。カミツケの儀礼は,夕方から始まり,真夜中過ぎまで続いた。まず,オナカマサマや近所の人達が周りで拝んでいる中で,(中略)師匠の膝の上に座らされ,後ろから抱きかかえられ,その周りをオナカマサマ達がぐるりと取り囲んで経文を唱える。もう座敷に行って,座らされた時から何が何だか分からなくなる。」(「民俗資料選集31巫女の習俗Ⅴ」から)ここで失神したりして,カミが降りてきたことが分かります。

多くの人の声や音によるポリフォニックな空間に包まれ,それが繰り返されることで「何が何だか分からなくなる」トランス状態に陥ります。これは音を媒介としてそこに成立する空間に一緒に投げ込まれることを言っています。つまり神のメッセージが伝わるとか,意味が分かるというメタな空間ではなく,身体の枠を超えさせるという物質的で身体的な空間によってなのです。

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夜の長沼

「ほとんど変化しない音楽をずっと聴いているわけです。そして、トランス状態になるのかな。たとえば、同じパターンが並んでいる建築の空間とか、壁面とかをずっと見ていると、実際にはないのがいろんな模様を勝手に作ります。やっぱりあれもそうなのです。まったく変化しない、その一様な状態に人間はなかなか堪えられない。」
変化のない音の永遠的な連続に耐えきれず,身体はやがて妄想や幻聴をつくり出し始める。圧倒的な暗闇や長く続く沈黙,繰り返される雨音。こういう時にこれらの自然の音を媒介にして,人の言葉が聞こえて来る。いや,内発的な言葉が現実に浮かび上がってくる。

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