FC2ブログ

崇高さとは何か11/17

叢から叢(くさむら)から
2ガンの雄姿
1朝焼けへ飛ぶ
3浮き上がる朝
4ハクチョウも飛ぶ

「崇高さ」
あまり日本語の中のイメージにないことばです。神々しいという感情に近いのかなと思っていました。
「聖なるもの」というルドルフ・オットーの感じでもありません。
「崇高さ」
ふと,こんな言葉が合うのかなと朝の日が昇り,世界に光が満ち,世界が一変するときに思うのです。崇高という言葉をおぼえたのは,カントでした。『美と崇高との感情性に関する観察』(岩波文庫)です。
「夜は崇高で、昼は美である。…崇高は揺がし、美は唆(けしかけ)る。崇高なるものは常に大きくなくてはならぬ。美なるものは小さくてもいい。崇高なるものは単純でなければならぬ。美なるものは磨かれ、飾られていてもいい。…悟性は崇高であり、機知は美である。勇猛は崇高で偉大であり、奸策は卑小であるが美である。」
こう読むと崇高というものが少し分かったつもりになります。経験による構想力を越えたものに出合ったときに感じる心の「畏れ」に似た感情のことだと私は勝手に理解しています。

朝の刻々と変わる色。そして劇的な日の出。一日として同じ色はなく,同じ朝はありません。わたしがそれを崇高さと感じるのですが,もっと,他に合う言葉はみつかっていません。
・・・畏れと歓喜が入り混じった,かつては神のみに対するものであった畏敬の心・・・。p189
                        『暗い山と栄光の山』M・H・ニコルソン 国書刊行会

尊く,荘厳な何ものかがあり,それは心に偉大な思想と情熱とを吹き込む。このような時,我々はおのずから神と神の偉大さとを思う。我々の理解の及ばぬものがみなそうであるように,およそ無限性の影と外観をもつものはみな,その極度の大きさによって心を満たし圧倒して,ある種の快い陶酔と讃美とに導く。     トマス・バーネットからの引用
このときバーネットは山に登ったときの感情を表現しています。それは厖大なものの集積であり,マッスでもある点でまた,量としての厖大なものの極限でもある。まさに日常を超えた宗教的な忘我,驚嘆,歓喜,激情でもある。
しかし,崇高は,「恐怖が混じり,時にはほとんど絶望をも含んだ恍惚感」と表現されると,一体どんな感情なんだよ,と言いたくなる。しかしこの感情を視覚的に表現しようとした。絵画である。この時代,まだ写真は生まれていなかった。風景画の誕生と共に「崇高さ」は表現の対象となっていった。そして,現代。私はカメラによって自分の,自然から得た感情を表現しようとしている。全然下手だけど・・・。

美と崇高との感情性に関する観察 (岩波文庫 青 626-0)美と崇高との感情性に関する観察 (岩波文庫 青 626-0)
(1982/12)
イマヌエル・カント

商品詳細を見る


にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ
にほんブログ村
関連記事

コメント

非公開コメント