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賢治の考えていた四次元宇宙とは(2)

ヒガンバナお墓参りのあとの彼岸花
NikonD300  300mm  F5.6  1/30  -0.3  ISO200  16:15 大崎市羽黒山公園

昨日は「春と修羅」の序文をもってきて,賢治の考え方の再構築の意図が感じ取れると書きました。それには,当時のアインシュタインの「相対性理論」などの影響もあるように書きましたが,それはただ私の想像の域を出るものではありません。ただ,賢治が,この序文で何か新しいことを意図していると,みなさんにも感じ取れるのではないでしょうか。『春と修羅』を刊行して9か月もたたない大正14年2月9日に賢治は,森佐一にこんな書簡を出しているのです。

 「前に私の自費で出した『春と修羅』も,亦それからあと只今まで書き付けてあるものも,これらはみんな到底詩ではありません。私がこれから,何とかして完成させたいと思って居ります,或る心理学的な仕事の支度に(中略)いろいろな条件の下で,書き取って置く,ほんの粗硬な心象のスケッチでしかありません。私はあの無謀な『春と修羅』に於いて序文の考を主張し,歴史や宗教の位置を全く変換しようと企画し,それを基骨としたさまざまな生活を発表して,誰かに見てもらいたいと,愚かにも考えたのです。」
1925(大正14).2.9 森佐一宛書簡

 賢治が新しく構築しようとしていた「或る心理学的な仕事」「歴史や宗教の位置を全く変換しようと企画」していることとは一体何なのでしょうか。そしてその基骨としてのスケッチ『春と修羅』を私たちはどのように読めばよいということなのでしょうか。ここで言えることは『春と修羅』の詩群すべては序文が書かれる前の作品だということです。そして序文を書いた大正13年1月には,賢治にはもう次の新しい視点が見え始めていたと考えられます。では,賢治はどんな新しいことを成し遂げようとしていたのでしょうか。・・・私にはわかりません。ただ,『春と修羅』第二集から始まる作品群とその推敲の中に,新しい視点の実現が見えてくることは確かでしょう。やっぱり賢治は何回読んでも興味が尽きることはありませんね。おもしろいです。私ももう一度『春と修羅』第二集を熟読してみたいと思っています。アインシュタインが相対性理論で全く新しい世界を築いたように,賢治にも新しい「四次元宇宙」として実現一歩手前まで来ていたのでした。
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