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修行する賢治

八幡沼ほとり八幡平 湿原の午後

 昨日は,外早坂高原まで,それも夜に20KM以上を歩き続ける賢治の健脚ぶりを紹介しましたが,その姿はどこか修験者を彷彿とさせます。そうです。賢治は還俗した修験者なのです。

木道をゆく陽が差す

 この頃わたしは軽装で,飛ぶように野を渡り歩くような登りはできないか,ということを考えます。それなりに訓練を積まなくてはいけないことなのですが,賢治はそんな「軽装で,飛ぶように野を渡り歩く」歩きのスタイルを確立していたのではないかと思います。まさに「風の又三郎」になろうとするものです。

 賢治の作品に見える詩句には「みことのり」に当たる神の言葉が聴こえるような気がします。みことのりは純粋に神の言葉です。その神の言葉を代弁する者が「みこともち」です。神の言葉は代弁する者の言葉に立ち現れてくるわけです。賢治は修羅として,顕現する如来の暗号(権現)を,翻訳して見せるスタイルを模索していたのではないかと言い換えることもできそうです。

 こんなことを,下の本を読みながら感じたのでした。

山岳修験への招待―霊山と修行体験 (新人物ブックス)山岳修験への招待―霊山と修行体験 (新人物ブックス)
(2011/03)
宮家 準

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 さて,山岳修験者の行は,実践です。山中での秘所への到達と秘儀の実践こそに重きが置かれます。文字で残すこともありましたが,それは只の記録としての意味しかありませんでした。殆どは口伝でした。本質に迫るためには,行を重ねて,その「場所の力」を感じ取るしかありません。「山麓から始めて河,瀧,池,森,岩場,湿原,巨岩,洞窟,岩壁,山頂などを経巡って,追体験する必要がある。」(上掲書45p)「場所の力」は自らが体現することでしか理解できないことなのです。
 言わば,パワースポットで,感じ取る「何か」です。そこには「場所の力」があります。
「漆黒の闇,早朝の明るみ,劇的な日の出,燦々と降り注ぐ日の光,風のそよぎ,伸びていく山の影,山の端に沈む太陽,夕闇の淡い光線,きらきらと輝く月と星,時折通る彗星」(同書 46p)
 それらの場所は刻々と曼荼羅になり,宇宙となり「神霊の宿る他界や異界」ともなります。この「場所の力」を感じ取る繊細な感性は,修行によってしか育まれません。
 賢治は,その「場所の力」を正しく表現する「技(すべ)」として,言葉を刻んでいたのではないでしょうか。

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