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映像作家「黒沢清」の仕事

寒い朝寒い朝(今日の話の内容とは全然合いません。すいません。)

今日は久しぶりに黒沢清の「トウキョウソナタ」を観ました。2008年の映画ですから,もう3年前になる映画です。そして今日はそのまま「映画長話」という本を読みました。蓮實 重彦,黒沢 清,青山真治の対談集です。

映画長話 (真夜中BOOKS)映画長話 (真夜中BOOKS)
(2011/08/08)
蓮實 重彦、黒沢 清 他

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 わたしは,昔から黒沢清のファンでもある。CURE キュア (1997),回路 (2000),ドッペルゲンガー (2002),アカルイミライ (2002),LOFT ロフト (2005),叫 (2006)という素晴らしい作品を作り続けてきた。特に私は「叫 (2006)」が1つの映画のジャンルの金字塔だと感じている。それくらいすごいと思っている。ホラーだと思うかもしれないが,質の違う怖さを感じて,そのリアルさは何なのだろうと思い続けている。ちょうど実存主義的な哲学の1つの表現に成功したと言ってもいいのかもしれないほどだ。

「蓮實」 とにかく何か近寄りがたいものがあって,それにわれわれは強く惹かれるけれど,その人に触れるのは危険だ。(「アカルイミライ」のクラゲのこともかけている)そういうモチーフが黒沢さんの中にあって,「カリスマ」の初稿(脚本)もそうじゃないかという気がしました。(上掲書 p122)

 蓮實重彦氏がカイエ・デュ・シネマに載せたベストテンに黒沢清の「叫」が10位で入っている。私もこの作品が好きで,特に,この作品の形象性は鮮やかで,切り口が鋭い。
 他者はいともたやすく「あなたの中に侵入してくる」,むしろ暴力的に侵入してくるものに対して,いつも人は自分を守るすべがない。他者が入ってくることを止められない,自分自身を守ることなどできないのだ。と映像で言い切っている。
 「叫」の冒頭の夢のシーン。壁であっても,窓であっても,不透明なシートであっても,侵入してくるものにとっては障害でも何でもない。他と隔てているはずの壁など,全く意味がなくなる。まさに肉体や心は,すべてすぐ壊れる壁,窓,不透明なシートそのものなのだ。おまけに,あなたが一瞥のもとに見た相手が,脈絡もなく,傷つけられたと感じたら,その罪によっていわれなき攻撃を受けても仕方ないのだ。現実では実際に,こういうことってある。この世に取り込まれた畏れを感ぜずにはいられない。その恐怖の表現の仕方が誰よりも卓抜している。
 私たちはかつて(信じている者は今でも),自分と他者との間の壁を取り払うことを望んできたのではなかったろうか。互いに理解し合う,壁のない世界を私たちは夢見てきた。愛。平和。そんな世界を望むことはできる。
 しかし,愛のために開かれたわたしたちの心には,同時に『幽霊もやってくる。』いつも自分の求める願いに合うものだけがわたしたちにもたらされてきただろうか。
 地震,風に揺れる木々の枝,ざわめき出す水面,光が途切れた空。いやな音とともに・・・。
 部屋の隅を見るといい。
 幽霊がいる。よく見れば,幽霊とは自分自身でもある。自分の記憶の果てに消えていった無意識世界・・・。自分の所有でありながらまったく記憶にも自覚にもないもの。それらは自分の理解を超えた他者でもある。

 そう。写真にも,あなたの意図しないものが映り込んでくる。このことは知っておこう。

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役所広司

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