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境界としての夕暮れ ブナ林夕照

夕照夕照 沈もうとする最後の光が陰影の美というものを教えてくれる
夕照2影に沈んで行く木々が最後の輪郭を主張する時

 ただただ立ち尽くし,見送るためだけに,車を走らせてきました。

 昔は,夕焼けのない夕暮れはあまり好きではありませんでした。だって,ただ暗くなるだけなんですから。
 今は,ただ暗くなるという夕暮れが好きです。みんな暗い中に溶け込んでいくという統一感が好きなんです。
 変な言い方ですが,平等に暗くなっていくという,世界の終わらせ方がいいんです。
 木々も白い花も,低い木も,草もすべて「おやすみなさい」と語らせる太陽の配慮がいいんです。
 

 ひょっとして昔から夕暮れがすきだったのかも,と思い直したりします。昼の引力が消えて,夜の引力に変わる「境い目」に気になる感情の変化がともなっていること。それに気付いていたのかもしれません。それが時空のゆらぎに当たるものだと感じられるのです。異次元への扉。楽章と楽章の間の静けさ。テンポの変化の前の静かな吃音。

白昼 
静かな場所に一人でいると
頭の中から音楽がとめどもなく湧いてくる
それを止めることができないでいる

夕暮れ
音楽は止み
自分の呪縛からも解き放たれる
過去と今,今と未来をつなぐ引力が弱くなるとき

わたしの中になぎの海が広がる


 実は,夕暮れという,昼と夜の境目に特別な思いを持っていることは,言葉の多さにも現れています。
夕闇 夕さり 夕まし 夕間暮れ 夕明かり 入相 黄昏 暮れなずむ 
逢魔が時 宵闇

夕間暮れのまぐれは目暗
黄昏は人の区別がつきにくくなる誰そ彼(たそかれ)
逢魔が時は禍が起きる時刻という大禍時(おおまがとき)

この境い目,つまり「境界」に特別な意味をもたせた考え方は,時間だけでなく,地理的な空間にも現れてきます。「峠」,「村界」,「神聖なる場所とそうでない場所」。そこに「塞(さく)[ふさぐという意]の神」を建てることで,疫病や悪いものが入ってこないようにすること。よいものがもたらされる場所という意味に境目を変えていったのです。歴史の中では,遷都したり,神を呼んで来たり(遷座)する習わしがたくさん行われてきました。「境界」という不思議な時空を,実は人々はしっかり見詰めてきたのでした。

 写真はこの境界を写し続けている行為だと言えるでしょう。輪郭を写して成立しているわけですから。
 水という質量がマックスになり,氷という全く違う質に変化する瞬間。その境目。「境界」

 最後の光も消えて,世界は溶暗になりました。わたしの独り言のような考えも終わります。どこにいるのという家からの連絡が携帯に入りました。現実に戻ったわたしは帰途につきます。

この後,月が,星が,宵の薄明かりがこの世を照らし出します。

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