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「日本の大転換」中沢新一

栗駒山10.30 086-2-ssss森の神様
栗駒山10.30 075-2-s彼方まで続くブナの林
栗駒山10.30 356-2-ssssss
透かし見る空

 10月に入ってから,栗駒山の紅葉を山頂から麓までをずっと見てきた。
 紅葉の時期も過ぎ,現在は落葉したブナの林はもう寂しくなっているだろうと思いきや,全くそうではなく,時期をずらして待ち望んでいたかのようにモミジやカエデ類の紅葉が林を彩っている。
 むしろ極相のブナ林であっても多彩な樹木や植物が,時間差で自分の生のサイクルを完結させている多様さに驚くばかりである。
 ショウジョウバカマなどはもう葉を完成させて,しっかりとした新芽をつくり,雪を待っていた。瑞々しい緑色である。落葉松の林に入ると針のような落葉松の葉が絨毯のように地面を覆っていて,強い香りを漂わせていた。むしろ葉を落とした林に凝縮された生の証が詰まっているように感じた。

 さて,中沢新一の「日本の大転換」(集英社新書)を読んだ。
日本の大転換 (集英社新書)日本の大転換 (集英社新書)
(2011/08/17)
中沢 新一

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 東日本大震災と津波,福島原発事故をきっかけに,日本は大転換の時期であるということなのだが,その切り口と今後の可能性を,原発というエネルギー供給をやめることとし,太陽エネルギーという今までの生態圏に可能性を見つけるという趣旨である。
 思えば,生命を支える食は,太陽エネルギーによって成り立つ農業や水産業によって今だに支えられ,鉱物,燃料も自然のつくり出したものを利用していたに過ぎない。「小さな太陽」になった原発も今は破綻した。今一度,米も小麦も,魚も,野菜も,それらをもたらす地球の生態圏の,太陽からの恵みであること。太陽からの「純粋な自然の贈与」が,商品となっていることを再認識すべきだ。これらは,資本主義に組み入れられ,市場原理に晒されることで変換されているだけである。
 経済の暴走につぐ暴走が,永遠に止まることのない核融合とアナロジカルに見えてくることは不気味である。
 永遠につくり出さなくてはいけないいうエネルギー神話に傾きすぎ,市場原理だけが社会を包摂,はびこる現在の価値論の転換こそ,今求められていると指摘する。
 全くその通りである。

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