FC2ブログ

栗駒山「御室(おむろ)」参り

栗駒御室栗駒山御室
昔,昔のお話です。今から150年も前のことになります。

上遠野秀宣という方がいました。
上遠野秀宣は文政7年(1824)年生まれ、岩出山の第八代邑主伊達弾正宗秩(ムネツネ)の二男として生まれました。やがて上遠野家の養子となり
天保14年(1843),(19歳)病に至り,栗駒山の駒形根神社(里宮)に病平癒の願掛けをします。翌年,病は癒えます。
安政3年(1856)年(32歳),第十代邑主になります。
文久2年(1862),(38歳)病癒え,20年経ち,栗駒山に登り、御室にある奥宮に参拝,お礼参りをします。そして,そのときの旅を「栗駒山紀行」としてまとめました。

お礼参りをした駒形根神社奥宮が「御室(おむろ)」なのです。150年前の栗駒山の「御室」はどんな景色だったのでしょう。「栗駒山紀行」から読んでみましょう。

雪ふみわけてゆけば御室の下にして、去年の雪はいとかたく氷のごとくなりて残り、八尺あまりのあつみに二丁ほど四方残りあり。
それより雪のうへをわたりて壱丁ほど登りゆけば、峯のうへにていとおふいなる巌石の立たるさまなににたとえん。天神のつくりおき給ひし神わざのいとくしきありさまなり。巌石の並びたちたる下に洞穴ありて、ふかさは方丈ばかりなれども、そのうちに石の御堂たたせ給ふて石の燈ふたつばかりあり。左の方に方丈二たけばかりへだてて大なる巌石の下に清水あり。この清水の冷しく甘きことはいかなる清水も及ぶまじきほどなり。かかる高嶺に清水のわきいづること奇々しくも、天一生水の性理を感じて涌いでしものなるらんと、いとかたじけなさの身にあまりて、口すすぎて手にむすべば、なつも忘るるばかり身の毛もよだちて、五の臓六の臓のはらわたもいと涼しくぞ思はるる。

                                        「栗駒山紀行」上遠野秀宣



栗駒7.16 738-2sそそり立つ雪渓

150年前,盛夏でも残るこの雪渓の上を上遠野秀宣はひたすら歩いたのでした。

今は,ここを通る登山道も地震で通れません。訪れる人も少なくなりました。
雪渓が消える夏,ここ御室の雪田群落の花々はいよいよきれいです。

上遠野秀宣栗駒山紀行―幕末、山を目指したサムライがいた!上遠野秀宣栗駒山紀行―幕末、山を目指したサムライがいた!
(2008/12)
深野 稔生

商品詳細を見る

この記事をまとめるにあたり,小関 純夫氏のHPも参考にさせていただきました。ありがとうございました。


にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ
にほんブログ村
関連記事