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柳田国男「東北旅行」覚書

夜の石巻線-2gs
月と木星のランデブー 昨夜7/21 石巻線 前谷地-涌谷

「わがふるさと気仙沼線」オリジナルプリント展示7/28予定

ひと雨ほしいですね
どうしたのでしょう。灌漑用水が整備されて干害にはなりませんが,昔ではそうなっていたでしょう。
つまり人間の施した整備環境で保っていて,まるで心配がいらないように思えますが,同時に自然の変化が分かりにくくなっている状況でもあるんですね。

さて,今日は柳田国男の東北旅行についての覚書きです。その際に柳田は南方在住の髙橋清治郎を訪れています。髙橋清治郎はこの時51歳,柳田は45歳でした。大正9年の8月4日旅行は仙台から始まり,9月12日の八戸まで続きます。その旅行での記録に高橋清治郎が出てきます。
佐沼の周囲の村々には,暦の裏に其年の大事件を記入して保存する風がある。高橋清治郎氏諸所の旧家を採訪して其何十通を集めている。最も古いものが享保年中だといふ。

佐沼辺にも例の古碑が多い。最も古きは南方村にあって建治某年、尚同村の正安何年かの碑には、念仏講何十何人の文字が見える。「大正九年八月以後東北旅行」
と佐沼や南方の記述があり,「柳津の町から少し下流に大柳津がある」と柳津,中田町石森等の地名が出てきます。その旅程を見ると簡単に次のようになるでしょう。

柳田国男の東北旅行日程
8月2日(月)東京出発
8月4日(水)仙台出発,野蒜,小野,石巻,女川浦,飯野川,登米,佐沼-石巻辺りは遠藤源八,毛利総七郎案内か
8月7日(土)船越泊(石巻市雄勝)

8月8日(日)~9日(月)石巻,飯野川,柳津,登米,佐沼,南方-この辺りは高橋清治郎案内か

8月10日(火)一関
8月12日(木)一関出発,岩谷堂,人首
8月13日(金)遠野
8月15日(日)遠野出発

この記述は高橋紘「柳田國男と高橋清治郎」に依ります。

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7/22昨晩の佐沼の花火
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7/22昨晩の佐沼の花火


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暦面裡書

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さそり座に流れ星  

只今登米市の歴史博物館では「もののけたちの夏」展が開かれています。
もののけたちの夏
なかなかおもしろい視点で楽しめます。
柳田国男が大正9年の8月に宮城にやってきます。そして柳田国男は飯野川,柳津,登米,一関,北上,遠野と北上川沿いに北上していきます。その際に登米周辺を案内したのが南方在住の郷土史家高橋清治郎さんでした。この清治郎さんは柳田がつくった民俗学黎明期に地方で情熱的な研究をしていた中の一人でした。
「遠野物語」の柳田国男,「遠野物語」の話者 佐々木喜善,高橋清治郎,中道等,ニコライ・ネフスキーとオシラサマや座敷童たちが埋もれていたもののけの世界から浮かび上がって来ます。ただのもののけの展覧会ではなく地域に残る事実から掘り起こした展示は登米を語るにふさわしい視点です。先回の企画展「田村麻呂伝説」も優れた視点でしたが,今回もいい視点だなと思いました。是非こちらの方は見てほしいと思います。

さて今日は高橋清治郎さんの残しているものの展示で,あれっと興味そそられた文を紹介します。
柳田国男が高橋清治郎さんの業績で是非出版したいと言っていた本があります。それは高橋氏が登米地方の「暦面裡書(れきめんうらがき)」を整理し,模写している全10冊に及ぶ労作です。「暦面裡書(れきめんうらがき)」とは各家が昔からの出来事を記して代々受け継がれてきた当時の記録で,天文,気象,天災,事件などを記した記録です。高橋清治郎氏はこれらの記録を整理し直して丹念な字で模写をしていたのでした。その中から「宮城県登米郡石森町清野家の「暦面裡書」」の一文です。
延享元甲子年11月(西暦1743年のことです)
長さ十丈程幅貳尺餘り
赤雲東□西へ引出る
ほう子星有、世でうろうせいと云とふり光候事、則月ノ如ク
さきの方いざらいざらとして
ほうき先の如シ此年大嵐来る
甲酉引き続き貳年大ききん也

どうやら1743年に大きな彗星が見えたという記述です。この記録が特筆され,石森の旧家清野家に残っていたのです。
そこで1743年辺りに大きな彗星はなかったかをステラナビゲータで調べてみました。すると,

1744延享元年クリンケンベルク彗星
「C/1743X1 クリンケンベルク彗星」と出ました。この彗星は「シェゾー彗星とか1744年の大彗星」とも言われ, 軌道も太陽のすぐそばを回るようになっており,光度が-3等と出る強烈な彗星だったようです。大嵐,大ききんと彗星出現が不吉な大きな影響をもたらしたと思われます。

そこで更に調べると,佐竹藩佐竹南家「御日記」に,延享元年正月「栗駒山が噴火し、特に仙台領で多く焼けた。仙台領で雷のような音が鳴り響き、石が秋田領の方に崩れた」という文があり,大彗星が訪れた年に栗駒山も噴火爆発するという年にもなっている事に行き着きました。250年も前のことながら暗然とした気持ちになりました。


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春を待つ心

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ウメの花電車 東北本線 新田-石越

 東北の春というのは,おぼろな春霞の背景から少しずつ浮き上がってくるものですから,やがてある朝に待ち続けていた春がはたと存在感を表すことに驚かされます。長く待ち続けて心があきらめ色に染まる頃にやって来るのが東北の春です。その喜びはいつかはと待っている手紙が何年も経って,忘れていた時にやっと届く驚きの気持ちにも似ています。こんなおぼつかなさが東北の春にはあります。これだけすぐ欲を満たすことに慣れた資本主義という現代で,遠くのものを我慢強く待ち続けるテンポがまだ東北にはあるのです。その待ち遠しいという明確さに欠けた時間が実は私たち東北人の心を育ててきました。それは一年中青々とした常緑の,生命に満ちあふれて平均化された南方の気候にはない「思い」でしょう。

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春を待つ夕暮れ

実際,太宰治の「津軽」に出てくるような,客人を迎える主人の行き過ぎるくらいのもてなしや寺山修司の喜びの奥にひそむ悲しみ色は,厳しい雪と寒さに一旦死んでしまう東北の景色が作り出しているものです。だからこそ一旦死んでしまった死者の景色から再生する奇跡に満ちた春を迎える喜びが東北には満ちています。

そんな春が今やっとこちらにもやってきています。
うれしいです。


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115年を経た二つの石碑

岩井崎 458-2s 岩井崎 479s
明治29年(1896)三陸大津波の石碑    2011年3月11日東日本大震災の石碑

ここは本吉小泉地区です。
津谷川の河口であるこの地区でも東日本大震災では甚大な被害がでました。7年経とうとしている現在でも工事はまるで果てしもなく続いているような気がします。115年を経た二つの石碑はすぐ近くにあります。

写真左の石碑は今から122年前に建てられた三陸大津波の年に後世への教えとして建てられました。碑文を読んでみます。

明治廿九年六月十五日午后八時暴潮汎
溢倐忽間溺死者二百三十一人郡民三千
三百八十人縣内総三千五百人也益三□(不明)罹

有縁無縁三界万霊塔

此災死者殆三万人而負傷者及家屋耕地
流失また副之世以為前古未曾有大海嘯鳴
呼天降災亦酷矣哉  仝年十二月建□(不明)



写真右の石碑は高台に建てられた小泉小学校の校門にあります。

しみじみ考えました。
歴史が引き継がれていたならば・・・。何を私たちは勉強していたのだろう。
必要なことを習ってきたのだろうか・・・。


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コーラ

海沿いにて 010-2gs
朝の海 荒浜海岸

コーラ

それはたゆたうように在る
しかしその存在は証明されたことはない
それはちょっと変わった形である
だいたいが形があるかどうかも分からない
だれも見たことはないし
確かめたこともない
あるなと感じてもそれは次元が違うところにいるようにも思える
近くだけれど反り返った世界であってこの世ではない
とらえどころのないものなのだ
だから名前すらない

コーラ
まるで触媒のように立ち現れてくるのだ
それ自身では場所を持たない
あるものが存在しようとするときに
その場所を提供するだけだ
生成することを
この世にあらんとすることを・・・ただ許している
意志するとかすかに世界のどこかで反応する
小さな灯をともすように
しかし考える対象にするとたちどころに形容されることを許さない

目的なんてない
そもそも言葉や思考の文脈ではつかまらない
「コーラこそは、みずからを刻印するありとあらゆるものの記入の場を象るものなのだ」

コーラ
とある公園に椅子がある
その椅子は誰かが座るようにつくられている
しかし誰も座らない
誰かのために作られたが誰れのためでもない
その公園に辿り着いた者などいないからだ

コーラ
すべての意味ははぎ取られている
「これでもなくあれでもないようにみえ、同時にこれでありかつあれであるようにみえる」
接近すると消え
しかし大胆に存在しているがおよそ権威というものは持たず
平然としている
イノセントでありながらすべてを許す

場所であって空間ではない
まよいが

あるいはカフカの「掟の門前」の開かれることのない門


海沿いにて 278-2gs
海沿いにて 石巻線 沢田-浦宿  万石浦に年の瀬の陽がきらきらと輝いていました


コーラとはプラトンのティマイオスに出てきた不思議な言葉です。
およそ概念化できず,実に可変性の高い,可塑性の高いものです。
何にでも変化可能で実体をもたないものです。強いて言えば「場所」と訳されていますが,とらえどころのないものです。それは永遠につかまらない蝶のようなものでもあり,永遠につかまらない蝶の存在をこの世に許すもののようにも受け取れます。あるものが形づくられようとするときに同時に現れるけれど,決して自分自身では形をなさないものです。



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